14時から始める小旅行

ちょこちょこ書くから読んでね。

祝儀と祝福は不要につき

 

友人から宅配便が届く。

送り状には私の所在地と名前が書かれてるが、それは私の名前であって私の名前でない。

受け取り印を捺すと、7割がた配達員の人は怪訝そうな表情をするので、私はサインじゃなきゃダメだったことを思い出して言う。

「あ、それ、旧姓なんです」

 

籍を入れて1年と少し経つが、私は未だに結婚したと友人たちに伝えてない。

 

私は結婚願望もなく、結婚にいいイメージもなかったので、中学生くらいの頃から散々私は結婚なんか絶対しない!と言っていた。

何故かと言われれば、有り体な話だが両親が離婚したという出来事はまあ大きいファクターではあるだろう。しかし、私は両親の離婚そのものに対しては小学6年の冬、離婚すると告げられた時から肯定的である。離婚で終わる夫婦関係というよりも、結婚から始まる夫婦生活の不都合さこそが不幸そのものだと私は思っていた。

そんなものに縛られるくらいなら何としても一人で生きていくほうがずっと幸せで賢明な判断だろうと信じていたし、私は自分で打ち出したこの仮説を今でも信じてる。

思春期を片親で過ごし、片親故の経済的な不自由さが真綿のように首を絞めてきてからは余計そう思うことが増えた。なんなら経済的安定が確保できないなら始めから子供を産むなとか、子供は産まれてくることを選べないし私が今ここに存在するのは親のエゴでしかないとか反出生主義に片足を突っ込んだようなことも言っていた。でも未だにこの件も確かな、高校生の私を納得させられるだけと理屈をもってして間違ってる!と過去の私に言えない。

 

ややあって夫といざ結婚するとなったときも私はちっともおめでたいこととは思えなかった。その頃にはもう私がそういう性質だということは夫も理解していたから、破格のインセンティブをつけて結婚の交渉を私に持ちかけてきた。それでも迷いはあったけど、頷かないわけにはいかないところまで私はもう来てしまっていたし、頷くしかないんだろうなあと思って漸く結婚を承諾した。

 

この先の何十年が重い鉄の扉で全部閉ざされたみたいな感覚に陥ったし、屈服させられたみたいな気分でいた。

なにより自分の理想一つ貫けない自分があんまりにも惨めで惨めで惨めでとてもじゃないけど既婚者の肩書きを持つ自分を許すことなど出来なかった。アイデンティティも失ってしまったという感覚に等しい自分という存在がわからなくなる感覚があった。悔しくてたまらなかった。

今でこそ多少めちゃくちゃでも情緒がジェットコースターとか笑ってられるけど、去年の今頃なんかはひたすらに精神不安定のメンヘラムーブばかりしていたし、この生活続けてたらいつかベランダから飛ぶかもしれんと本気で思ったりしていた。まあ、いわゆるマリッジブルーってやつですね。

 

結婚を伝えた友人というのは本当に少ない。ネットの友人には大抵伝えたと思うけど(そこまで会うことがないので伝えたところで特に影響がないから)リアルの友人には信用出来る2,3人の友人にしか伝えていない。

自分で結婚したことを情けなく、恥ずべきことだと思っていたので、結婚報告は私の中で殆ど告解に近かったのです。

 

それに、私は絶対に結婚しないなんて声高に大言壮語を振りまいてしまったので引っ込みがつかなくなったんでしょうね。

なので、お祝いを貰ったとしても、本当におめでとうと思ってくれているんだろうけど、どこかで「あいつ結婚しないとかいいながら真っ先に結婚してんな」とか「結局なんも一人でできてないじゃん」とか「結局そんなもんでしょ」と冷ややかな目で見られているんだろうと内心怯えている。

マリッジブルーのせいでいきすぎたところはあったのだろうけど、度合いの問題で私は今もこの時ほどの恐怖心はないもののそう見られてるんだろうな〜とぼんやり思っている。

多分世の中私が思うほど一貫性にこだわってないし、厳密でもないんだろうなという気はしているんだけどそれだって私は約束を履行できなかった自分が嫌いだし許せないし、何がおめでたいんだ。結婚を祝うな、私の失態を痴態を祝うな!だって私が望む幸せは何も手に入れられてないのだから!

 

1年が経ってやっと地に足をつけて、浮くことも沈むことも無く生きていけるようになった。

それでもやっぱり他人から後ろ指さされるのが怖いし、自分が一番自分の結婚を手放しで祝うことが未だに出来ないから、私は今日もこの世に既に存在しない宛名の荷物を受け取って、妙に書き馴染みのある受け取りサインを書いて笑ってみるのです。

 

追伸

そんなことはいいましたが、お祝いをくれた友人たちには感謝しているし、頂いたお祝いは大切に使っております。もしも私の友人がこれを読んだら申し訳ないなと思うかもしれませんが、君たちはなんにも悪くないのです。

ダブスタといえばダブスタなのですが、なんとかちゃんと祝われることを喜べるように矯正を試みている最中なので多少は許してください。そして人を素直に祝えるその感性を後生大切に持っていてね。

君たちにおめでたいことがあったら必ず心から祝福するから。そしてその事象をおめでたいと思えなくても私はそれを否定しないから。