14時から始める小旅行

ちょこちょこ書くから読んでね。

過去と現在を繋ぐトンネルとその連続性と

 

4年前の今頃、私はアイドルマスター、と言いつつ男の子のアイマス(以下sideM)にハマってて、最後の春休みはほとんどsideMに費やした。友人の布教があんまりにも上手だったのでみすみすハマった。毎週どこかの満喫でDVD見てああ本当に楽しかったな。

 

でも実際に上京してからの4年間は苦しいことしか無かった。パワハラで新卒で就職した会社を1年足らずでやめて、今の夫の家にずるずる身を置きながら夜中に発狂して、中野のマルイの中に入ってるコメダで3時間ひたすらバスの数を数えたり、あんまりにも虚しすぎて妊娠管理アプリを入れて架空の胎児と会話したりしていた。

一応復職したとてバイトだったし、結婚もしてない当時の夫のスネを齧ってるのは人間として本当にいかがかと思うしさっさと見放してくれとすら思っていた。だけど実際に結婚して大学に行っても精神は回復するどころか更にすり減っていった。多分結婚して1年くらい経つまでのこの期間が一番精神的にはまずかった。このまま行ったら実際に死ぬかもしれないと思った。

ただただ上京前2ヶ月くらいがひたすらに輝かしくて、そこに戻れる可能性が閉ざされたと感じたのだと思う。贅沢な話だし、養ってもらってるくせに女さんってやつは!というやつだと思う。

 

私は中学生以来絶対に結婚しない!!って掲げてて、そのくせあっさりと24歳で結婚したのが後ろめたく絶望的に恥ずかしかった。自分の比較的硬かったポリシーすら貫くことが出来ない弱い、最低な人間なのだと思っていて(これは今も)そういう誓いを起てた子供の頃の自分にも、周囲の私のスタンスを支持してくれた人達にもどうしようもない申し訳なさを感じていた。

でも後者については多分、みんなそこまで考えてないよねってどこかでは分かってる。そんな他人のポリシーなんかいちいち覚えていられないと思うしどうでもいいと思う。だけど自分は別だから、本当にこことはどう折り合いをつけるべきかその日の気分で簡単に変動してしまう。

 

それはさておき、先日、4年前sideMを布教してきた友人がチケットを当ててくれたので、sideM7thライブ横浜2日目に行った。

そりゃもう楽しかった。何度かライブにいったことはあるんだけど席も近かったし、好きな曲ばっかりだったし本当に楽しかった。どこか遠く幻想のような記憶に思えた4年前の冬が帰ってきたようだった。

 

4年前私は22歳で多分年が近いのが神谷幸広、東雲荘一郎の21歳か、舞田類、握野英雄の23歳だった。それがいつの間にか柏木翼と同じ年になって結婚して、大人なアイドルたち!って思ってたDRAMATIC STARSに片足突っ込んで、もう10日後には私が可愛がってる桜庭薫と年が並ぶ。ね、1年間同い年だよ桜庭。

信じられるか?私は信じられないよ。

 

膿みたいな4年だった。ワールドカップまたやってるよと思った。そんな時間が経った気がしない、バーチャル胎児と会話してたくらいスカスカだったから。なんにも出来ずにもう帰ってこない2ヶ月に焦がれて20代の半分近くを浪費してしまった。

 

今回の7thライブは特殊で、未発表の新曲なんかがあって、私が好きな曲ばかりで同行した友人には「君のためのセットリストじゃないか」と言われた。実際そうだった。席もアリーナで、肉眼で普通に演者が見えた。

 

約1年前の6thライブも原宿に2日行ったのだけれどまだあの頃の私は不安定で、でもまあ比較的まともだったけど明日の気分がどう転がるか分からないようなところがあった。

今年1年は比較的安定していたというか、大分気分は浮上して行けたと思う。ゴールデンカムイにハマったり旅行も多く行って、うん、いい1年だった。でも回復に転じるきっかけを与えられたのは多分6thに行ったことだったと思う。本格的なライブに足を運ぶのは初めてのことだった。

 

この歳になって本当にDRAMATIC STARSの曲が刺さる。しかもどうしようもなく人生がぐちゃぐちゃでまともじゃない25歳には殊更。

本当に本当に本当に楽しくて、4年前が手元に戻ってきたんじゃないかって本気で錯覚した。間のどうしようもなく上手く思い出せず私の中で連続性が担保されていない部分と今日がやっと繋がった気がした。私はあの頃からもう変質してしまったんだと思ってたんだけどまだ、まだ感情が壊死せずに生きてるかもしれない。まだ私は大丈夫かもしれない。

心から1年と少し前、死ななくてよかったと私は本気で思った。同行の友人は4年前の楽しさについても、生きててよかったという感想に対しても、そんなにか?と言ったけど、私にとってはそんなにだったんだよ。4年前、快活クラブで延々円盤見せてくれてありがとう。

 

13日には実際に桜庭薫と同い年になる。それだけ時間が経ったことに絶望もあるけど、なんとか同い年になれそうでよかった。桜庭薫と同い年になるまで生きることが出来てよかった。

本当に今日まで生きててよかった。

 

2022.12.4