14時から始める小旅行

ちょこちょこ書くから読んでね。

嫉妬というか劣等感

 

夫の過去の恋人に嫉妬したことがあるかどうか、いかにも私が嫉妬という感情を持ち合わせていなさそうに見えるのであんまり聞かれたことがない。

しかし、私は夫の過去の恋人に嫉妬したことがまあまああります。ちょっと想像している方向の嫉妬とは異なるかもしれないけど。

 

たとえば、夫から過去の恋人の話を聞くのはめちゃくちゃ好き。楽しかったデートの話でも辛かった話でも、なんだったらどういうところが好きだったか詳細に聞いた日には気分高揚して寝付けないかもしれない!

なんで平気か、それを許容できるのか、あるいは過去の恋人の話を聞きたいと思うのか。

それは私が他人に対して強い恋愛感情を抱いたことがないからです。そう、夫の過去の恋愛は私にとっては恋愛というものを理解するための貴重なサンプルであって、裏を返すとサンプルでしかない。だから多数の人間が指し示す狭義の嫉妬は確かにしない。

 

でも私は確実に夫の過去の恋人に嫉妬したことがあると断言できます。

たとえば勉強の出来や学歴、生まれ育ち。これらについて私は逆立ちしても彼の過去の恋人には勝てない。どうにもならん話です。

これは個人的な羨望と染み付いた劣等感なので嫉妬と定義するのにはあまりにも幼稚すぎるのだけど。

 

話は突然変わるが私は小説を書いてた時期がある。このブログに見られるような乱筆ぶりであったがまともに書いていた時はそれなりにご評価を頂いていた。その節は本当にありがとう。

小説を書くのはしんどい(文章が出てこなくて)けど楽しい。多分もう書くの辞める!と言いながらダラダラこの先も思い出したように何か書くのだろうなと思っている。

無論、自分の書くものにそれなりの自信もあった。評価の数ももちろんだけど、ある一定の水準には達しているだろうという自負もある。

 

そして話が戻るが、夫の過去の恋人もそういう創作活動をしていたと言う話は聞いていた。

夫曰く、考察力に優れていて考察だけで漫画の次の1話の展開をそのままそっくり言い当てたことがあるという話、そして物書きらしい詩的な感性を持っていたのだと言った。

 

なので、私は純粋な興味から、へぇどんな?と夫に聞いてみた。

「覚えてるのは冬が好きな理由かなあ。寒さで外界と自分の境界が明瞭になる感覚が好きって言っててさすが物書きだなあと思った」

との返答があって、ははぁ、左様でございますか、とさも最上階から地上を見下ろして鼻で笑ってやるような高慢さと苛立ちを覚えつつも次の瞬間には感心にそれを塗り替えて、なるほど、と頷いた。

私はこういう詩的な感性を持てずにここまで来てしまった。私は美しくない。最近は開き直って自分はどこまでも俗であるし、俗をちゃんと愛してあげたいとか思ってるけど、それだっていかにも詩的な感性とか耽美主義に焦がれている。

 

冬はそこまで嫌いじゃない。寒いのは着込めば何とかなるからいい。

夏は嫌い。ド単純に暑いから。

夜行バスの休憩時間にバスを降りた瞬間の空気っていいよねという夫に対して、あーバスん中の二酸化炭素が多いからじゃない?と私は答えた!

そんな私が美しい感性を持った夫の元恋人にあらゆる意味で勝てるわけがないじゃないか!

 

別に夫の一番なりたいとか可愛いことは一切思わない。好き嫌いもカテゴリーの問題だと思っているし、勝手に程々好きになったり嫌いになったりすればいい。好きにしろとしか言えない。何を差し置いても自分が一番になりたいとか全く思わない。

私は夫からすればたまたま結婚することになってしまっただけの女でしかない。逆もまた然りだし。

 

しかし私には情緒が欠けている!

文章もさぞいいものを書いていたんだろうな。才能があって、私の味わい少ない綺麗なだけの文章に比べてずっとずっといい文章を物語を作っていたに違いない。蓋を空けられた途端、私はみるみる膨大な暗澹たる感情に飲み込まれていった。

羨ましい!率直に言って憎いです!物書きとしても、人間としても!

これを嫉妬と言わずになんというのですか。

 

とはいえ、能力値にばかり嫉妬してるあたり、「そういうところ」なのかもしれないな、ああ。