14時から始める小旅行

ちょこちょこ書くから読んでね。

正しさに負ける風

あけましておめでとうございます。

一応、夫の祖母が昨年亡くなり喪中のはずなのですが、夫の実家の新年会に参加したら普通に義父が「あけましておめでとうございます」という乾杯の音頭を取ったので、いいということでしょう。

 

今年はいい加減挨拶をしてない夫側のご家族に挨拶を兼ねて、実家には帰りませんでした。年始そうそう仕事もあったので……。

いつか書いた夫の妹さんとその旦那さんもいらしていて、はじめましてとご挨拶を致しました。義実家には大変良くしていただいていて、お義母さんとは先日ご飯に連れて行ってもらったりしているのです。お義父さんにも美味しいものを頂いたりと何かとお世話になっており、世にいう難しさというのはこれまで特段感じたことはありません。

ただ、いざこのように集まってしまうと都会育ちの裕福な夫の家に、片田舎の母子家庭の育ちの悪い私は身の置き場がないような錯覚に陥るのです。妹さんの旦那さんもやはり夫や妹さんと同じような名門に数えられるような大学を出ていて、身なりも立ち振舞いというものも余裕があって、こんなことをブログに書き付けている私とは異なるのですよ。箱根駅伝を見ながら大学の話なんかが出るたびに「あはは……」と笑って誤魔化すしかない私とは。私は、あの空間においてさながら異物です。

どれほど良くしていただいて、何も感じないように気を使ってくれたとしても私はその感覚を拭うことは出来ないでしょうね。

 

お酒を出してくれたのは救いでした。こういうときのためにお酒はあるんだと、心底身を持って感じました。お酒は人よりいくらか得意ですから、こういう席では飲んでさえいればなんとかなる。素面でやり過ごすよりもずっとずっとマシです。

歓談も決して苦手ではありません。私はあの場で為すべきことを全うしたと思います。

 

お話が盛り上がった頃、お手紙のようなものを夫の妹さんが差し出しました。お義母さんが広げました。私の乏しい人生経験からではありますが、黒黒した切れ端とマーブル模様にのように浮かぶ白い影からそれが何物であるか理解しました。

ぞわり、と背筋を遡る恐ろしさを、肺を潰されるような苦しさを私は湛えて微笑みを作り「なになに」とぼけたふりをするのです。

結婚して一年弱、妹さんは子供を身籠っていた。

おめでとうございます。私は震えながらエコー写真を受け取って見たふりをする。

昔から胎児のエコー写真をみるのが苦手なんです。生命を感じるものが、時として素晴らしく映り、時として恐ろしく映る私にとってはどうにも苦手で仕方ないのです。

 

でも私は確かに予感していたのでした。

歪む、歪む。私の目の前にいる人達が。私が逆立ちしてもなれない、普通の観念で普通を幸せに生きる人達が。すごい真っ当じゃないですか。

自分の中にある一切の性欲を否定してみせようと、トルストイの性愛論にすがらんとする私とは違うじゃないですか。どれだけ私が普通の人間をエミュレートするのに長けていても、この境地には一生たどり着けない。そういう絶望の味を今日のエビスは私にまざまざと突きつけてきました。

 

本当におめでとうございます。とても尊いことだと思います。

ただ私が一切の現象に対して恐ろしさを感じ、また恐ろしさを感じる真っ当ではない自分を嫌悪しているだけなんです、本当に。

学歴コンプをこじらせて周回遅れで大学に通う自分も、大学にかまけて社会人を全うせず夫にのうのうと養われている自分も、そんな安全な環境を提供されているのにも関わらず結婚に反抗を続けている幼さも、女性性を未だに引き受けきれず目を逸らし続けている青さも、子供を持てるほど精神的にも経済的にも余裕のない危うさも、子供を持ちたいと思えない精神性も、理想的な妻はおろか飼い猫のような扱いを受けている自分も、生命を知覚できない自分も、生命を恐れる自分も、その全てを甘んじて受け入れよしとする夫も、何もかも許せずに嫌悪しているだけなのです。

 

私は何も正しくない!

そんな事実を八海山と一緒に飲み込むほかないまま、杯を重ねました。

ね、八海山って美味しいんですよ。二十歳になって初めて飲んだお酒が八海山でした。それに今日のはとっておきでしたから、尚更美味しかったです。本当に。だから飲みすぎてしまったんですね。それに十七度もあるとは思わないじゃないですか。はは、胃酸って苦いのですね。

 

帰宅して私は耐えきれなくなって泣きました。

夫はなにか嫌だったかと気を使って聞いてくれましたが、何も嫌じゃなかった。自分がただただ許せないだけなんです。こんな仔細を夫に話すわけにはいかないじゃないですか。こんな醜悪な僻み、いくら私の醜さを知り尽くしているような夫にだって言えないですよ。こんなひどい、ひどい話。

だから、帰り道にひどくお酒が回ってしまって気分の悪さから生理的な涙が出てしまったとそういう風に伝えて眠りました。そして、こんな時間に起きてこれを書いているのです。

 

大人しく実家に帰ってしまえばよかったのです。実家では私はもう結婚して人生上がったようなそういう風に見られているので特段苦しくはないんですね。頭のおかしかった女が結婚してくれただけで万々歳、そんな居心地の良さと特権意識をここ最近は啜っているわけです。そういう甘やかされた環境へ何もかも擲って逃げ込んでしまえばよかったのです。

 

結婚などやはりどこか欠落した私に務まるようなものではなかったのです。真っ当な人生らしき人生を私は演じることができない。普通の観念で生きる夫や義母、義父にそれを与えられない。地面に頭を擦り付けたくなる衝動に駆られながらこの先生きていく他ないのでしょうね。

 

知ってます?私がね、そのまっとうな人生らしき人生を手に入れて言うこと。

「結婚に引き続き、信条に敗北を重ねた私は生きている価値などもうない」

おそらく、これに準ずることを言うのだろうと思います。

どっちなんだという話ではないんです。どっちに転んでも私はそういう正しい人生を歩めないし、肯定できない。だからね、もっと普通で正しい観念をどうしようもなく手に入れたくて手に入れたくて手に入れたくて焦がれているのです。

 

私は、半年後夫の妹さんの子供にどのような表情で対峙すればいいのでしょうか。そして存在論的恐怖に打ち勝つ強さとその勇気を。どうか、どうか、もう誰も私を肯定しないでと虚しく贅沢な祈りを胸に、箱根駅伝の復路に備えて仮眠をしようと思うのです。

過去と現在を繋ぐトンネルとその連続性と

 

4年前の今頃、私はアイドルマスター、と言いつつ男の子のアイマス(以下sideM)にハマってて、最後の春休みはほとんどsideMに費やした。友人の布教があんまりにも上手だったのでみすみすハマった。毎週どこかの満喫でDVD見てああ本当に楽しかったな。

 

でも実際に上京してからの4年間は苦しいことしか無かった。パワハラで新卒で就職した会社を1年足らずでやめて、今の夫の家にずるずる身を置きながら夜中に発狂して、中野のマルイの中に入ってるコメダで3時間ひたすらバスの数を数えたり、あんまりにも虚しすぎて妊娠管理アプリを入れて架空の胎児と会話したりしていた。

一応復職したとてバイトだったし、結婚もしてない当時の夫のスネを齧ってるのは人間として本当にいかがかと思うしさっさと見放してくれとすら思っていた。だけど実際に結婚して大学に行っても精神は回復するどころか更にすり減っていった。多分結婚して1年くらい経つまでのこの期間が一番精神的にはまずかった。このまま行ったら実際に死ぬかもしれないと思った。

ただただ上京前2ヶ月くらいがひたすらに輝かしくて、そこに戻れる可能性が閉ざされたと感じたのだと思う。贅沢な話だし、養ってもらってるくせに女さんってやつは!というやつだと思う。

 

私は中学生以来絶対に結婚しない!!って掲げてて、そのくせあっさりと24歳で結婚したのが後ろめたく絶望的に恥ずかしかった。自分の比較的硬かったポリシーすら貫くことが出来ない弱い、最低な人間なのだと思っていて(これは今も)そういう誓いを起てた子供の頃の自分にも、周囲の私のスタンスを支持してくれた人達にもどうしようもない申し訳なさを感じていた。

でも後者については多分、みんなそこまで考えてないよねってどこかでは分かってる。そんな他人のポリシーなんかいちいち覚えていられないと思うしどうでもいいと思う。だけど自分は別だから、本当にこことはどう折り合いをつけるべきかその日の気分で簡単に変動してしまう。

 

それはさておき、先日、4年前sideMを布教してきた友人がチケットを当ててくれたので、sideM7thライブ横浜2日目に行った。

そりゃもう楽しかった。何度かライブにいったことはあるんだけど席も近かったし、好きな曲ばっかりだったし本当に楽しかった。どこか遠く幻想のような記憶に思えた4年前の冬が帰ってきたようだった。

 

4年前私は22歳で多分年が近いのが神谷幸広、東雲荘一郎の21歳か、舞田類、握野英雄の23歳だった。それがいつの間にか柏木翼と同じ年になって結婚して、大人なアイドルたち!って思ってたDRAMATIC STARSに片足突っ込んで、もう10日後には私が可愛がってる桜庭薫と年が並ぶ。ね、1年間同い年だよ桜庭。

信じられるか?私は信じられないよ。

 

膿みたいな4年だった。ワールドカップまたやってるよと思った。そんな時間が経った気がしない、バーチャル胎児と会話してたくらいスカスカだったから。なんにも出来ずにもう帰ってこない2ヶ月に焦がれて20代の半分近くを浪費してしまった。

 

今回の7thライブは特殊で、未発表の新曲なんかがあって、私が好きな曲ばかりで同行した友人には「君のためのセットリストじゃないか」と言われた。実際そうだった。席もアリーナで、肉眼で普通に演者が見えた。

 

約1年前の6thライブも原宿に2日行ったのだけれどまだあの頃の私は不安定で、でもまあ比較的まともだったけど明日の気分がどう転がるか分からないようなところがあった。

今年1年は比較的安定していたというか、大分気分は浮上して行けたと思う。ゴールデンカムイにハマったり旅行も多く行って、うん、いい1年だった。でも回復に転じるきっかけを与えられたのは多分6thに行ったことだったと思う。本格的なライブに足を運ぶのは初めてのことだった。

 

この歳になって本当にDRAMATIC STARSの曲が刺さる。しかもどうしようもなく人生がぐちゃぐちゃでまともじゃない25歳には殊更。

本当に本当に本当に楽しくて、4年前が手元に戻ってきたんじゃないかって本気で錯覚した。間のどうしようもなく上手く思い出せず私の中で連続性が担保されていない部分と今日がやっと繋がった気がした。私はあの頃からもう変質してしまったんだと思ってたんだけどまだ、まだ感情が壊死せずに生きてるかもしれない。まだ私は大丈夫かもしれない。

心から1年と少し前、死ななくてよかったと私は本気で思った。同行の友人は4年前の楽しさについても、生きててよかったという感想に対しても、そんなにか?と言ったけど、私にとってはそんなにだったんだよ。4年前、快活クラブで延々円盤見せてくれてありがとう。

 

13日には実際に桜庭薫と同い年になる。それだけ時間が経ったことに絶望もあるけど、なんとか同い年になれそうでよかった。桜庭薫と同い年になるまで生きることが出来てよかった。

本当に今日まで生きててよかった。

 

2022.12.4

 

 

嫉妬というか劣等感

 

夫の過去の恋人に嫉妬したことがあるかどうか、いかにも私が嫉妬という感情を持ち合わせていなさそうに見えるのであんまり聞かれたことがない。

しかし、私は夫の過去の恋人に嫉妬したことがまあまああります。ちょっと想像している方向の嫉妬とは異なるかもしれないけど。

 

たとえば、夫から過去の恋人の話を聞くのはめちゃくちゃ好き。楽しかったデートの話でも辛かった話でも、なんだったらどういうところが好きだったか詳細に聞いた日には気分高揚して寝付けないかもしれない!

なんで平気か、それを許容できるのか、あるいは過去の恋人の話を聞きたいと思うのか。

それは私が他人に対して強い恋愛感情を抱いたことがないからです。そう、夫の過去の恋愛は私にとっては恋愛というものを理解するための貴重なサンプルであって、裏を返すとサンプルでしかない。だから多数の人間が指し示す狭義の嫉妬は確かにしない。

 

でも私は確実に夫の過去の恋人に嫉妬したことがあると断言できます。

たとえば勉強の出来や学歴、生まれ育ち。これらについて私は逆立ちしても彼の過去の恋人には勝てない。どうにもならん話です。

これは個人的な羨望と染み付いた劣等感なので嫉妬と定義するのにはあまりにも幼稚すぎるのだけど。

 

話は突然変わるが私は小説を書いてた時期がある。このブログに見られるような乱筆ぶりであったがまともに書いていた時はそれなりにご評価を頂いていた。その節は本当にありがとう。

小説を書くのはしんどい(文章が出てこなくて)けど楽しい。多分もう書くの辞める!と言いながらダラダラこの先も思い出したように何か書くのだろうなと思っている。

無論、自分の書くものにそれなりの自信もあった。評価の数ももちろんだけど、ある一定の水準には達しているだろうという自負もある。

 

そして話が戻るが、夫の過去の恋人もそういう創作活動をしていたと言う話は聞いていた。

夫曰く、考察力に優れていて考察だけで漫画の次の1話の展開をそのままそっくり言い当てたことがあるという話、そして物書きらしい詩的な感性を持っていたのだと言った。

 

なので、私は純粋な興味から、へぇどんな?と夫に聞いてみた。

「覚えてるのは冬が好きな理由かなあ。寒さで外界と自分の境界が明瞭になる感覚が好きって言っててさすが物書きだなあと思った」

との返答があって、ははぁ、左様でございますか、とさも最上階から地上を見下ろして鼻で笑ってやるような高慢さと苛立ちを覚えつつも次の瞬間には感心にそれを塗り替えて、なるほど、と頷いた。

私はこういう詩的な感性を持てずにここまで来てしまった。私は美しくない。最近は開き直って自分はどこまでも俗であるし、俗をちゃんと愛してあげたいとか思ってるけど、それだっていかにも詩的な感性とか耽美主義に焦がれている。

 

冬はそこまで嫌いじゃない。寒いのは着込めば何とかなるからいい。

夏は嫌い。ド単純に暑いから。

夜行バスの休憩時間にバスを降りた瞬間の空気っていいよねという夫に対して、あーバスん中の二酸化炭素が多いからじゃない?と私は答えた!

そんな私が美しい感性を持った夫の元恋人にあらゆる意味で勝てるわけがないじゃないか!

 

別に夫の一番なりたいとか可愛いことは一切思わない。好き嫌いもカテゴリーの問題だと思っているし、勝手に程々好きになったり嫌いになったりすればいい。好きにしろとしか言えない。何を差し置いても自分が一番になりたいとか全く思わない。

私は夫からすればたまたま結婚することになってしまっただけの女でしかない。逆もまた然りだし。

 

しかし私には情緒が欠けている!

文章もさぞいいものを書いていたんだろうな。才能があって、私の味わい少ない綺麗なだけの文章に比べてずっとずっといい文章を物語を作っていたに違いない。蓋を空けられた途端、私はみるみる膨大な暗澹たる感情に飲み込まれていった。

羨ましい!率直に言って憎いです!物書きとしても、人間としても!

これを嫉妬と言わずになんというのですか。

 

とはいえ、能力値にばかり嫉妬してるあたり、「そういうところ」なのかもしれないな、ああ。

 

祝儀と祝福は不要につき

 

友人から宅配便が届く。

送り状には私の所在地と名前が書かれてるが、それは私の名前であって私の名前でない。

受け取り印を捺すと、7割がた配達員の人は怪訝そうな表情をするので、私はサインじゃなきゃダメだったことを思い出して言う。

「あ、それ、旧姓なんです」

 

籍を入れて1年と少し経つが、私は未だに結婚したと友人たちに伝えてない。

 

私は結婚願望もなく、結婚にいいイメージもなかったので、中学生くらいの頃から散々私は結婚なんか絶対しない!と言っていた。

何故かと言われれば、有り体な話だが両親が離婚したという出来事はまあ大きいファクターではあるだろう。しかし、私は両親の離婚そのものに対しては小学6年の冬、離婚すると告げられた時から肯定的である。離婚で終わる夫婦関係というよりも、結婚から始まる夫婦生活の不都合さこそが不幸そのものだと私は思っていた。

そんなものに縛られるくらいなら何としても一人で生きていくほうがずっと幸せで賢明な判断だろうと信じていたし、私は自分で打ち出したこの仮説を今でも信じてる。

思春期を片親で過ごし、片親故の経済的な不自由さが真綿のように首を絞めてきてからは余計そう思うことが増えた。なんなら経済的安定が確保できないなら始めから子供を産むなとか、子供は産まれてくることを選べないし私が今ここに存在するのは親のエゴでしかないとか反出生主義に片足を突っ込んだようなことも言っていた。でも未だにこの件も確かな、高校生の私を納得させられるだけと理屈をもってして間違ってる!と過去の私に言えない。

 

ややあって夫といざ結婚するとなったときも私はちっともおめでたいこととは思えなかった。その頃にはもう私がそういう性質だということは夫も理解していたから、破格のインセンティブをつけて結婚の交渉を私に持ちかけてきた。それでも迷いはあったけど、頷かないわけにはいかないところまで私はもう来てしまっていたし、頷くしかないんだろうなあと思って漸く結婚を承諾した。

 

この先の何十年が重い鉄の扉で全部閉ざされたみたいな感覚に陥ったし、屈服させられたみたいな気分でいた。

なにより自分の理想一つ貫けない自分があんまりにも惨めで惨めで惨めでとてもじゃないけど既婚者の肩書きを持つ自分を許すことなど出来なかった。アイデンティティも失ってしまったという感覚に等しい自分という存在がわからなくなる感覚があった。悔しくてたまらなかった。

今でこそ多少めちゃくちゃでも情緒がジェットコースターとか笑ってられるけど、去年の今頃なんかはひたすらに精神不安定のメンヘラムーブばかりしていたし、この生活続けてたらいつかベランダから飛ぶかもしれんと本気で思ったりしていた。まあ、いわゆるマリッジブルーってやつですね。

 

結婚を伝えた友人というのは本当に少ない。ネットの友人には大抵伝えたと思うけど(そこまで会うことがないので伝えたところで特に影響がないから)リアルの友人には信用出来る2,3人の友人にしか伝えていない。

自分で結婚したことを情けなく、恥ずべきことだと思っていたので、結婚報告は私の中で殆ど告解に近かったのです。

 

それに、私は絶対に結婚しないなんて声高に大言壮語を振りまいてしまったので引っ込みがつかなくなったんでしょうね。

なので、お祝いを貰ったとしても、本当におめでとうと思ってくれているんだろうけど、どこかで「あいつ結婚しないとかいいながら真っ先に結婚してんな」とか「結局なんも一人でできてないじゃん」とか「結局そんなもんでしょ」と冷ややかな目で見られているんだろうと内心怯えている。

マリッジブルーのせいでいきすぎたところはあったのだろうけど、度合いの問題で私は今もこの時ほどの恐怖心はないもののそう見られてるんだろうな〜とぼんやり思っている。

多分世の中私が思うほど一貫性にこだわってないし、厳密でもないんだろうなという気はしているんだけどそれだって私は約束を履行できなかった自分が嫌いだし許せないし、何がおめでたいんだ。結婚を祝うな、私の失態を痴態を祝うな!だって私が望む幸せは何も手に入れられてないのだから!

 

1年が経ってやっと地に足をつけて、浮くことも沈むことも無く生きていけるようになった。

それでもやっぱり他人から後ろ指さされるのが怖いし、自分が一番自分の結婚を手放しで祝うことが未だに出来ないから、私は今日もこの世に既に存在しない宛名の荷物を受け取って、妙に書き馴染みのある受け取りサインを書いて笑ってみるのです。

 

追伸

そんなことはいいましたが、お祝いをくれた友人たちには感謝しているし、頂いたお祝いは大切に使っております。もしも私の友人がこれを読んだら申し訳ないなと思うかもしれませんが、君たちはなんにも悪くないのです。

ダブスタといえばダブスタなのですが、なんとかちゃんと祝われることを喜べるように矯正を試みている最中なので多少は許してください。そして人を素直に祝えるその感性を後生大切に持っていてね。

君たちにおめでたいことがあったら必ず心から祝福するから。そしてその事象をおめでたいと思えなくても私はそれを否定しないから。

 

荒涼と広がる心象

 

最近は比較的楽しく生きているのですが、情緒が如何せん制御不能のジェットコースター状態なので、30分前に「この世界なんか滅びろ!死んでしまえ!」という気持ちでいたかと思いきや、「この世界は愚かしくも愛おしい!」くらいに感情の幅が振れています。

 

もうひたすら突風が吹き荒れているみたいな。この現象は割と楽しく生きてる時に起こりがち。感情と言うよりは衝動性に近く、多分もっと私が病的な方だったら自傷とか(リストカットとかそういう方じゃなくて暴れる方)そういう方向にいってたかもしれない。

幸い、まだ富士急ハイランドみたいな情緒を他人に晒すという醜態はそこまで晒してないし、衝動性に近いと自分で観測してるだけで衝動に負けたことは無いので心配はそこまで要らないでしょう。

でも今の私は滅茶苦茶です。情緒が安定しない。すぐ泣くとかじゃなくて、情緒の照準が定まらない。正気でいられない。困った。いや、困ってない。

 

昨日は友達とゴールデンカムイ展に行ってきて、特典で鯉登少尉の色紙貰ったし、すごい混んでたけど楽しかったので全然平気。図録も買ったし、ぬいぐるみも買った。

鯉登少尉のぬいぐるみ、絶妙に可愛いのです。

(私はゴールデンカムイだと鯉登少尉が好きなんです。光属性の成長枠って立ち位置の子、原作を読んでいくとひたすらに眩しくて綺麗でかっこいい。あとお坊ちゃんで品があって故にわけわかんなくて可愛いところも好きです)

 

鯉登少尉は小さいぬいぐるみなので一緒に寝たら多分潰しちゃうので一緒には寝れないね……。

あ、月島軍曹も一緒に買ったのですよ。これもまた絶妙に可愛い。

 

最近は色んなことが上手く回っているけど、上手くいっていればいっているほど他人と関わって世間とズレてることを痛感してめちゃくちゃになるし、自分が少しずつ欠落していることを目の当たりにしてしまうので私はこんなに楽しいのに!って言いながら足場が崩れていくんですよね。

色々書いたけど、ゴールデンカムイ展がとても楽しかったので感想を少し残しておきたかっただけなんです。本当だよ。

 

髪を切ってきた!

 

タイトル通りです。

髪を切ってきました。

基本は3ヶ月ペースなんですけど、今月は何かと人と会う予定が多いので前倒して2ヶ月で。

 

モードめな服をここ1年気に入って着てるので、前回髪型もそれっぽくしたのですが、これが結構気に入って、前髪を作った方がやっぱそれっぽいよなーと思って前髪も2年ぶり?くらいに作りました。

重ために作ると本当に似合わないんですけど、今回はかなり重ため広めって感じで作ってもらって、かなり「そういう」感じの人になったので満足です。ちょっとメンタルこじらせてそうにも見えるけど。

 

ストレートが一番映える切り方にしてもらったので頑張って髪巻かなくてもめちゃくちゃかっこよくきまるんですよっ!

これ夜型朝最弱人間にはとっても重要なのですよ。

 

私はすぐ髪が赤くなる上に、明るい色がそこまで似合うという訳では無いのでカラーはブルーブラックを入れてもらいました。

青みはそこまで出ないんですけど、黒染めのどうしようもない重さを青は軽減してくれるので、黒くしたいなって人にはおすすめ。青はすぐ抜けるけど。

 

こうなってくるとちょっと暗めの赤リップとか欲しくなるんですが、マスクつけ始めてからリップなんかつけなくなったし、今までのリップだとマスクについちゃうだろうからな〜……。

色的にはキャンメイクのメルティルミナスルージュ(https://www.canmake.com/item/detail/97)の05くらいの色がいいなぁ。昔これ使ってて暗すぎず明るすぎない赤でシックに決まってくれるんだけど、マスクだと以下略。

 

国産のティントでいい塩梅のものは無いでしょうか。最近コスメのレーベル?みたいなの増えすぎて全くわからん。オペラが出始めたくらいで安価な価格帯のコスメの知識が止まってるんですよね。

 

じゃあデパコス買えばいいじゃないって話なんですけど、リップはすぐなくしがちなのでデパコスは、なぁ〜……。

しかしここ数ヶ月出費が多いのでデパコスは回避したい!切実に!

 

普通になりたい!

普通になりたい!普通の観念が欲しい!普通の倫理観が欲しい!普通の思考が欲しい!普通の感覚が欲しい!普通の経歴が欲しい!普通の家庭と両親が欲しい!でもやっぱり普通になりきれないから普通の人間は私から遠く離れて欲しい!(暴君?)

 

夫の妹さんが結婚された。おめでとうございます。

何度か顔を合わせたことがあるけど、すごく良くしていただいた。愛嬌があり、聡明そうな女性で、大変真っ当な感性をお持ちでいらした。

 

初めて会った瞬間、何なら夫から話を聞いた瞬間「あー、私がなりたかった人じゃないですか」と思いました。

私はそれこそ学生時代なんかは私のあらゆる欠陥を全部育ちとか親のせいにしたもんですが、そもそも育ちが真っ当だったとして、私の持つ根底の気質が少しずつダメだったとここ1年で気づいて匙をぶん投げました。

まあそら育ちがまともだったらそのズレはいくらかマシになったかもしれないけど、大小の差でしかないからもう母親の腹の中からやり直せないですかこの人生。

 

普通と引替に若干の狡猾さと頭を手に入れたので、割と早い段階で周囲とズレてる!と気づいた私は何とか周りの動きに合わせるという術を身につけ、それなりに周りに溶け込み異常さを上手いこと隠蔽することに成功しました。

それだってやっぱりそれらしい振る舞いをしているだけなので時々どうしようもなく打ちひしがれる日があるのでした。

 

ざっくり1年前に自分が結婚して、「すごく(一般的な社会で)真っ当そうに見える既婚者という肩書きを手に入れた!」と思うことでしか自分の信条すら貫けなかった軟弱さを許せない私はそう思うことしか結婚を肯定できなかったのですが、却って結婚してからはそういう苦しみからは解脱したんだわと大きく構えて居られたわけです。

なので久しぶりの感覚だなと嘲笑しながら自分を俯瞰してやり過ごすことしかできないんですけど、バラの花束にティファニーブルーの婚約指輪羨ましいな、羨ましいな。

 

バラの花束とティファニーの婚約指輪を貰えなかったことが悲しい訳ではなくて、実際そういうものが欲しいといえばきっと用意されたんだろうけど、それに価値を見いだせなかった自分の感性がただただ虚しい。

実際花束とティファニーの指輪貰っても何一つ嬉しくないんですよ。酸っぱいぶどうとかではなく本心からいらない。私が指輪の代替として貰ったのは大学の学費で、これはこれできっととんだ美談に仕立て上げることができるし、この合理性を突き詰めた解答を気に入っていますが、世間からズレてしまったという気持ちは否めないわけです。

 

私が実際いちばん欲しかったのはティファニーの指輪がほしいとか、嬉しいとか思うような感性なんですよ。でもそれって誰からも貰えないじゃないですか。

例え、夫に私の選択を肯定や賞賛されたとて、私は私を許さない。こういう一人芝居を四半世紀続けてんのホント不毛すぎませんか?

開き直っても開き直っても追いかけてくるんですよ、初めからそんなもんになれるわけもないのに。

 

結婚式なんか呼ばれてしまった日にはどんな顔で参列すればいいんでしょうか。多分そのうち子供が産まれましたとか言われるんだろうなとすら予感していますが、その時私は自分のこのどうしようもない脆弱性とどう対峙すればいいんでしょうって考えると気が遠くなってゲロ吐きそうになりますね。

 

あまあでも今日はゴールデンカムイの単行本を後ろから3冊丸善で買ったので、まだもう少し生きていけそう。

結局人を、というか私を生かすのは物欲と明日の約束しかないのですよ。