来年の手帳がぼちぼちロフトに並び始めたこの頃、私は手帳売り場を横目で見ながら苦虫を噛み潰したような表情をして通り過ぎる。
それもそのはず、私は手帳を使うのが死ぬほど下手かつ絶妙に食指が動かずあまり手帳やライフログをまともにかけたことがない。
ただ手帳を綺麗に記入し、予定を管理するみたいな「仕草」には大変憧れがあるため何度も挑んでは挫折してきたのであった。
というわけで今日はその宇宙一しょうもない苦闘の自分史を整理してみようと思った次第である。
2015年:なんかよくわからないマンスリー
もう無い。多分捨てた。
バイトのシフトと遊びの予定を記入するだけだった
2016年:ペーパーブランク

こんな感じで表紙が可愛くて買ったけどインクは裏抜けし放題で実用はしんどかった。

これくらい抜ける
2017年:トラベラーズノート
紛失。多分これも中身は捨てたんじゃないかと思われる。
この頃トラベラーズノート流行ってて憧れて買ってみたものの全く使いこなせなかった。
リフィルノートをカスタマイズして使うわけだけど入れ替えが面倒で……。あと単純に小さくて書きにくかった(カードサイズ)
2018年:カキモリのオーダーノート

カキモリで作ったノートをシールでデコレーションしていた。今見るとあんまりセンスがない。現状はだいぶ劣化しているのですがさすがにもう少し綺麗だった。
マンスリーとウィークリーのリフィルを入れて使ってた。普通に使ってたもののなんだかしっくりこず。
この年は就活やってたのでちょっと中身はだいぶ見せられないよ!って感じでしたが一番手帳を自然に活用してた感がありましたね。

ただ、こんな感じで日付を書き入れるのが億劫だった。自分の字も好きじゃないからうっすら嫌な気分になりつつ使っていた。
2019年:MDノート

文庫本サイズ。この年もシールでデコレーションしていた。
なお就職先で「そんな小さい手帳で何が書けんの笑?社会人なんだからもっと大きいの買わなきゃ笑」みたいな嫌味を言われてダルかった。手帳をやめるより先に仕事を辞めた。(書くこと多いし大きいの買った方がいいよという趣旨は分かるが小姑みたいな嫌味ったらしい言い方に腹が立った、社会人に向いていない)
週間レフトを使うのが向いていないかもしれないと思い始めた。

週間ページ

月間ページ
ちなみに

4thだってよ……。
2020年:ほぼ日(オリジナル)、ジブン手帳Lite

無職で暇かつキラキラ手帳インスタグラマーに憧れていたので二大巨頭のほぼ日とジブン手帳を買う。
ジブン手帳は恐らく破棄済み。
ジブン手帳のブロック体の印字がとにかく好きじゃないという理由でLiteを買うもあっさり挫折。2ヶ月も使わなかった、多分。

ほぼ日は使い道が思いつかなかったので映画、展覧会などの鑑賞録兼日記になった。なんとか一年完遂(本当に暇だったから)
カバーが高いかつ気に入るものがなかったのでこの年もシールでデコって適当なクリアカバーをつけていた。

やたら頑張っていたページ(ここだけ)
2021年:ほぼ日(オリジナル)、ペンギンダイアリー

またほぼ日を買う。理由は覚えてない。
恐らく映画のチケット貼ったりするのにはそれなりに重宝していたかつ、他に代替を考えることも億劫だったため半ば惰性だろうと思う。
やっぱりマステでデコレーションしてある。(やはり好みのカバーがなかったと思われる)

月の始まりのページに当月行きたい映画館や展覧会を書いていた

クリアカバーのポケットには行った展覧会のチケット(貼るには大きすぎたため)
デイリーページは2020年と大差ないため割愛。
この年はスケジュール管理用としてSuicaペンギンのダイアリーを買って使っていた。(日記ではスケジュール管理が若干やりにくかった)
これも確かウィークリーページがバーチカルで使いこなせなかったので、ほぼマンスリーしか使ってなかった……と思う。まあ、可愛いからいいのです。
2022年:ほぼ日、ワーキングマザーの手帳

ほぼ日。
この年は英語版。英語版は黒一色のところに金の箔押しがあるのみで別にデコレーション等何をしなくてもいいという理由で英語版にした記憶がある。
恐らく2021年同様の理由でほぼ日を買うも面倒くさくなってきたのか、5月6月あたりで一切の記入がなくなっている。

ここから記載なし
手帳に挫折したというよりも私生活が充実しつつあったと考えられる。
私は人生暇だと手帳なりなんなり丁寧な生活をしたがる傾向にあり、暇な時って大抵精神が終わり散らかしています。
ワーキングマザーの付録が充実している手帳を使いたい!なんか意識高そうでかっこいいから!というモテたくてギターを始める男子高校生みたいな理由で使い始めた。

ワーキングマザー(全くマザーじゃない)の手帳

この頃は仕事をかけもちしてたので掛け持ち先のシフトを書いていた。意外とシール貼ってあったさて頑張ってる形跡が見受けられる。
マンスリーはセパレート式の週間ブロックで普通に使いやすくメイン手帳として1年使い切った。なお機能の1/3くらいしか使えていなかったと思われる。単純なオーバースペック。
真っ白!

なんかインスタで見つけたネップリを何とかして頑張っていた形跡も見られる。
2023年:ガントチャートダイアリー

mofusandのステッカーかなんかを買ったのかそれを貼っていた
ワーキングマザーの手帳で使ってたガントチャートが映画公開日などの管理に意外と役に立ったので(本来のガントチャートの使い方とは大分異なるが)ガントチャートをメインにしている手帳にした。ウィークリーもどうせ大して使いこなせないし、書くことも、管理する予定もこの頃はもうそれほどなかったので十分だった。

ガントチャートも今見たらほぼ使ってなかった!草!
マンスリーさえあれば私は事足りるんだなあと気づいたのがこの頃。なおかつ大判(で薄い)手帳は書きやすいに気づいた。
当然だが薄くて軽くてよかった。
2024年:無印良品 マンスリー
足るを知り、全てが億劫になった。
普通に手帳を書きたいとすら思わなくなってきて、最低限の予定だけ記入出来ればそれでよしという具合。
大判でマンスリーさえあればよく、マンスリーのみであるが故にマンスリーカレンダーのページを大きめに取るという感じで無印に。
映画の特典で貰ったポストカードやシールを貼ったりしていた。
写真はない、どこか行った。
まあつまり、人生が楽しかったんだと思います。
2025年:無印良品 マンスリー、PureLifeDiary

継続して無印のマンスリー。運用は2024と同じ。
なんかまた色気を出して2023年と同じ理由でPureLifeDiaryを購入するも2ヶ月も続かず終わる。
普通に私生活バタバタしていて書いてる余裕がなかったのと、意識高いものに憧れる割に意識高いものに一切馴染めないのでテーマが決まっている手帳が恐らくたいへん向いていない、自明だが。
2026年:Logical Diary(マンスリータイプ)

こちらもマンスリーだけ。
表紙のネコチャンが可愛かった、それだけでこれになった。
ページ構成は無印と同じくマンスリーとノートのみ。

スカスカ
運用方法も2024,25と変わらず。ほんとにネコチャンがいるかいないかだけ。ネコチャンはいるほうがいいでしょう。
ただ最近は仕事で一日単位で管理する必要のあるものが増えたり、単純に作業量が増え記憶が怪しくなってきたり、いつのだか分からないあらゆるメモが飛び散ってめちゃくちゃになってきたのでまとめて書けるものが欲しくなってきた。
終わりに
この通り、辛うじて2年以上使った手帳がほぼ日か無印しかない。
文房具が好きな人間が最後に行き着くのはおそらく手帳である。可愛いシールも可愛いペンも万年筆も全て使うことができるからだ。手帳はある一定のラインを越えると趣味になるのだ。
だが私は文房具が好きな割に本当に手帳が書けない、最低限の予定さえ分かればいいのであった(悲しいかなそれほど締切管理やタイムスケジュールの把握が必要な職業でもない)
ライフログにジャーナリング、推し活手帳。コモンプレイスにバレットジャーナル……それほど書くことがないし、管理ができない。わざわざ書くことを作り出すのだとしたらそれは手段と目的の入れ替えが生じているだろうし、こういうものに私はいまひとつやる気を出せない。
昔はそれと知らずにジャーナリングのような事をしていたが、それは特に相談できる人もおらず自分はこの世界で最も不幸だと信じて疑わなかった人並みに悩める思春期の頃だったからであって、特に深刻な悩みもなくそれなりに生きることができてしまう今、改めて書くこともないのであった。
と、まあ弁解を並べてみるも全て「酸っぱいぶどう」である。
綺麗に手帳が書けるしっかりした大人の女性になるつもりだったが無理である、大人になって10年も経てば限界も何となく見えてくる。
本当に手帳を使いこなせない。綺麗に手帳をかける女性(同性だから女性と言ってるだけで別にそれ以上他意はない)心底憧れるし尊敬している。
今年はSuicaのペンギンカバーがほぼ日から出るので今年からはもうほぼ日に魂を売り渡す他ない……と思っているわけだが本当に1日1ページ書くことが見当たらない。
現状ニュースのスポーツ枠よろしく野球の結果でも書こうかな(まあ書き続けたら意外といい記録になる気もするが)くらいしか思いつかない!
仕事用は1日1ページの方が書きやすいと思うので採用したいが文庫本サイズでは小さく、カズンではオーバースペック(特にバーチカルが不要)で重いのでさてどうしようかなと悩むこの頃である。
まあ中身のないライフを絞り出してまた日記書いてもいいのだが、ショート動画を延々と見ている私に書けるライフが本当に存在するだろうか、いや存在しない。(反語)



















